「なぜ?」は無用

人は「なぜそうなのか?」と問います。

人間関係の問題、仕事の問題、社会の問題、家庭の問題。

様々な問題について、「なぜそうなのか」と問います。

 

しかし、ある回答を得たところで、それは解釈の1つにすぎません。

それは真理でも真実でもなく、1つの解釈です。

 

それは頭痛に効く痛み止めのような意味で、その時の気分を楽にしてくれるかもしれませんが、根本的な健康とは無縁です。

根本的な健康とは、真実を知ることです。

その真実とは、「それがそうであること」です。

 

人間関係の問題、仕事の問題、社会の問題、家庭の問題、いろいろな問題がありますね。

その問題についての解釈や回答も、様々にあります。

しかし、「その問題がそうであること」については、様々にはありません。1つです。

 

「その問題がそうであること」

これがつまり真実です。

 

物事が、そのように、ある、ということが真実です。

誰にも否定できないし、変えようもありません。

 

 

例えば、自分の努力で状況を変えた、改善したとしましょう。

その場合でもやはり、それはそれ、です。

今度は変えた状況が、それとしてあります。

変えようが何だろうが、その状況がそうであることに、何ら変わりはないのです。

 

だから、それはそれでいいのです。

というか、それはそれでいいとしか言いようがありません。

物事はどこまでいっても、そうであることに変わりはありません。

 

物事にどんなに解釈を施したとしても、あくまでそれはそれです。

そして、どんな解釈ですら、やはりそれもそれです。(笑)

どこまでいっても、何であっても、それはあくまでそれなのです。

 

だったらもう、それはそれでいいじゃないですか。

だって現にそれはそれだから。(笑)

 

 

それがそれであるのを「ただ見る」、というのが、真実の把握です。

それは誰にでも出来ることであり、今すぐ出来ることです。

そして、それがそうであることは、今までもずっとそうだったし、これからもずっとそうです。

誰にも隠されていませんし、これ以上ないくらいシンプルで明け透けです。

 

世界はただ、そうである。

それはいつでも変わらない真実です。

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