今日も一日お疲れ様でした。
どうでしょう、いい気分で過ごせましたか?
現代人の多くはほとんどの時間、あまりいい気分で過ごせていないように見受けられます。
あるいは、ほとんど自分の気分に無頓着ですらあります。
気分にフォーカスするとゲンナリするので、もはやフタをして見ないようにしているのかもしれません。
気分を変えるために、運動をしてみたり、おいしいものを食べに行ったりという方法がパッと思いつくかもしれませんが、それは何の解決にもなりません。
根本的に変える方法は一つです。
それは、見る方向を180°変えるということです。
いま悪い気分を見続けているなら、くるっと180°向きを変えて、楽しい気分の方向を向いてしまうのです、意図的に。
そんなことができるのかって思うかもしれませんが、できます。
ただ単に「そうすればいいんだ」って思い出すだけです。そして実際にそうするだけです。
ムクムクと湧いてきます、楽しい感覚が。自分の内側から。
実際、楽しい気分だからこそ、おいしいものでも食べに行こうかと思いますし、いい気分だからこそ、運動でもしてみようかと思います。
それをするから楽しいのではなく、楽しいからそれをするのです。
順序が逆です。
普通は楽しみを求めて何かをするわけですが、本来は楽しいからこそ何かをするのです。
子どもは楽しいから鼻歌を歌いますし、楽しいから踊り出します。
何か突き動かす要因が先にあるから、それをします。
それをしたのちに、後から突き動かす要因が付いてくるのは、順序が逆です。
楽しいほう、ワクワクするほうに行こうとする感覚は、前回のお話の通り、もともと私たちに内蔵されています。
だから、邪魔な要因をファっと手放せば、自動的に楽しい感覚が湧いてきます。
楽しいがデフォルトなので。
そっちにいかないとするならば、何かブレーキする要素があるはずです、必ず。
これは日常生活を送っていると、本当にすぐ忘れます。
もともとある楽しさが、日常生活を送っていると覆い隠されてしまうのです。いろんなしがらみやら何やらで。
すぐ忘れてしまいます。もともとは楽しいということを。
そう、「もともとは楽しい」のです。
何かをやったから楽しいのではなく、何かをやる前から楽しいのです。
そして楽しいからこそ、何かをやるのです。
楽しさを期待して何かをやるのは、順序が逆です。
苦しいから何かをやって楽しさを得ようとするのは、何かドラッグをやるのに近い感覚です。
苦しいからうまいもの食って気分を晴らそうとか、苦しいから買い物して気分を晴らそうというのは、根本的にドラッグに手を出すのと同じ構図です。
苦しいからそれをやるのではなく、楽しいからそれをやるのです。
もともと私たちは「楽しい」がデフォルトですから。
宇宙はうまく運行させるための仕組みとして、「楽しい」を内蔵させています、全ての存在に。
ありとあらゆる存在に、それぞれの「そっちに行きたがる感覚」が備わっています。
これのことを「命」とも言います。
その感覚に従っていれば自動的にうまくいくように、もともと出来ているのです。
宇宙が破綻なく運行している背景には、それをそうたらしめている仕組みがあります。
つまり「楽しい」はすでにあるのです、ここに。
Right now, Right hereです。
生きる、とは、楽しいことなのです。もともと。
命とは愉快なのです、そもそも。
完全にそれが覆い隠されているだけなのです。
だから、何か楽しさを他所に求めるのは、見当違いです。
どこかに探しに行くのではなく、覆いを取るのです。
何がいま覆いとなっているのか、それを見極めるのです。
つまり、自分を観察することです。
何を感じているのか、なぜ感じているのか、どう感じたいのか、どうすれば感じられるのか。
自分を観察し、自分を知り、そして自分を生かすのです。
本来どっちへ流れようとするのか、それを見極めるのです。
埋もれた命を掘り起こし、生命を取り戻すのです。
そのとき、「何のために生きているのか」なんて問いは、もはや出てきません。
そんなところに、もはや目が行きません。
こんなに楽しくて、こんなに輝いているのに、そんなこと考えるヤツはいません。
その輝き自体が、すでに答えですから。
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