成功と幸せは別物

みなさん、何をそんなに頑張っているのだろうか。

ガマンして、歯を食いしばって、一体何をそんなに頑張っているのだろうか。

全てはすでにあるというのに。

 

すでに平和ではないですか。

何も不自由はないではないですか。

何をそんなに頑張る必要があるのでしょうか。

成功と幸せは別物

「やる」によって、成功している人たちをたくさん見る。

だから私も「やら」なければならない。

 

そんな思考に陥っている人は多いでしょう。

みんな「やって」るじゃんと。

それによってたくさんの人が「成功」しているじゃんと。

 

ただ、「成功」と「幸せ」は、全く別物です。

「成功」は相対的な指標であり、「幸せ」は絶対的な指標です。

 

成功とは、「そうではない大量の人たち」の上に君臨する、ごく一部の人たちのことを指します。

そして、成功を目指す人は、その「ごく一部の人たち」の中に入るために、頑張ります。

成功とは、成功・不成功の二極の間の、ごく一部のポジションのことを言います。

だから「相対」です。

 

そして幸せとは、「全員がそう」だというものです。

ただそれに気づいているか気づいてないかの違いだけで、「全員がそう」というものです。

全員がそうで、例外がない。

比べるものがなく「それ」しかない。

だから「絶対」です。

 

成功なんて、どうでもいいのです。

成功と幸せは、全然関係のない、全く交わることのない話です。

あなたは幸せになるために、成功したいと言うかもしれません。

しかし、それは全く次元が違う話です。

 

世の中には、成功法則、成功哲学といった、成功のための情報があふれていますね。

成功のためには、情報も必要でしょうし、スキルも運も、必要でしょう。

そりゃあ頑張らなければいけませんね、成功したかったら。

 

でも、成功って本来「趣味」の話であり、興味のない人にとってはどうでもいい話です。

成功に興味がない人だって、たくさんいるでしょう。

釣りに興味がない人はたくさんいるし、ゴルフに興味がない人もたくさんいます。

興味がない人に、無理やり趣味を押し付けることは、ありませんね。

成功に興味がない人に、無理に「成功目指さないとダメじゃん」って押し付けるのは、迷惑な話ですね。

 

自分で自分に成功を押し付けていませんか?

成功は人生に必須ではないですよ?

それは単なる趣味ですよ?

やりたい人だけがやればいいだけのものですよ?

あなたが求めているのは、成功じゃなくて「幸せ」ではないですか?

幸せに必要なもの

成功は、求める人がいたりいなかったりですが、「幸せ」はみんなが求めます。

なぜならそれは、人間という生き物の本質だからです。

全員が必ず持っているものだからです。

それはつまり、本来の自分に帰りたいという衝動です。

人類全員が持っています。

そしてそれは、もともと持っているものだから、それを得るために必要なものは、何もありません。

 

成功のためには、情報もスキルも運も必要でしょう。

そして、アイデアや人脈や資金なども必要でしょう。

何より必要なのは、「やる」ということです。

努力、勤勉、行動。

成功は自分の外にあるものです。

だから、それを取りに行かなくてはいけません。

成功に「やる」は必須です。

 

でも逆に、幸せにとっては「やる」は不要です。

むしろ「やらない」が必要です。

「やる」と、見過ごすからです。

幸せは内にあるものであり、どこかに取りに行っていると、そこにあることに気づかないからです。

 

幸せであるかないかの違いは、それに気づいているか気づいていないかの違いです。

幸せは全員が持っているものなので、違いがあるとしたら、それに気づいているかいないかだけです。

そして、何かをやっていると、それに気づけないのです。

そっちに気を取られるから。

気づくためには、「やめる」必要があるのです。

全てをやめた時に、「あ、あった」と気づくものです。

 

あなたは成功を求めているのではないのです。

成功は「趣味」の話であり、そのトピックについては、このブログでは取り扱っていません。

このブログでトピックにしているのは、「幸せ」についてです。

あなたは幸せを求めているはずです、成功ではなく。

成功も求めているかもしれませんが、ここではとりあえず幸せを求めているはずです。

 

幸せを得るためには、「やめる」のです。

求めるのではなく、「確認」する

みなさん、何をそんなに頑張っているのだろうか。

ガマンして、歯を食いしばって、一体何をそんなに頑張っているのだろうか。

幸せはすでにあるというのに。

いや、それがわからないから、それが感じられないから、頑張っているのでしょうけど。

 

という視点に立ってみてください。

一体何を頑張っているのか」という視点に。

 

すでに平和であり、何も不自由はない。

何をそんなに頑張る必要があるのかと。

 

求める時、視線は外を向いている。

「どこにあるのか」と。

キョロキョロうろうろ、視線は外をさまよっています。

 

しかしながらそれは、内にあります。

すでに持っています。

ですから、視線を向け変えなくてはいけません。

「内」に。

 

視線を内に向け変えるとは、具体的にはどうすることでしょう。

「求める」とき、視線は外向きでした。

では、どういう時に視線は内向きになるのでしょうか。

 

それは「確認する」ときです。

何があるのかなと、確認する時です。

冷蔵庫の中身を確認するみたいに、自らの内を確認してください。

何があるのか、確認してみてください。

 

見ればそれはそこにあります。

無いことなどありえません。

なぜならそれは、自分そのものだから。

自分そのものが無い人なんていません。

だからそれは、必ずあります。

 

「確認」してみてください、「求める」のではなく。

自らの内に何があるのかを、確認してください。

幸せとは取りに行くものでなく、ただ内にあることを確認するものです。

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