何かを得ることがあれば、何かを失うこともあります。
ある程度それらを繰り返していると、得ることは本当に良いことなのかと、疑問が湧き起こります。
我々は普段、何かを得よう得ようと動いています。
素敵な出会いや、素敵な洋服、素敵な経験。
それらを得た感動や興奮は、その場で過ぎ去りますから、さらに次、さらに次と、求めることにキリがありません。
空しさから目を背けるように、逃れるように、我々は満たされた感覚を、いつもいつも求め続けます。
でも、いつまでたっても真には満たされません。
一時的な満足が去ったら、また次の一時的な満足へ、飛び石のように飛び続けます。
いつになったら真の満足の中でくつろぐことができるのでしょうか。
飛び石を飛び続けている限り、そうはなりませんね。
常にせわしなく動いていては、真の満足でくつろぐことはできません。
それはわかりますが、ではどうしたらいいのか。
それがわかりません。
我々は、真の満足の中で永遠にくつろぎたい、ホッとしたいという、根源的な欲求を持っています。
しかし、どうすればいいのかがわからないので、とりあえずできる代替手段である「一時的な満足を追いかけること」をしてしまいます。
本当はそんなこと、もうやめたいと思っています。
いい加減疲れたと。
でも、それ以外にどうすればいいのかがわからない以上、それをやめることはできません。
それをやめたときにやってくる(であろう)恐ろしさだけは、何としても避けたいと思っています。
だから、最善とは思わないけど、一時的な満足を追いかけることをやめることはできません。
でも、それをやめるしかないのです。
最善でない以上、それをやめないと、最善は手に入りません。
その恐ろしさの中に飛び込まないと、真の最善は得られないのです。
全てを捨てる覚悟と勇気がないと、それは得られません。
全てを捨てて、裸になり、あなたがずっと避けてきたその恐怖に、100%向き合わなければならないのです。
…
私はあなたをお誘いします。
その恐怖に100%向き合うことを。
それこそが、あなたが求めていたものです。
あなたがずっと目を背けていたものの中に、あなたが真に求めていたものがあります。
さあ、勇気を持って、目を背けずに、しっかりと見据えてください。
その空しさを、その虚無を。
あなたが全てをやめたときに、そこに残るものは何ですか?
あなたが全てを捨てたときに、そこに残るものは何ですか?
しっかりと見てください。
今、この瞬間、それを見てください。
…
あなたの想像していたような恐怖は、そこにはありませんね。
恐怖は文字通り、「想像」でしかありません。
事実を見てください。
想像ではなく、事実、見えるものを、見てください。
それは、本当に裸にならないと見えません。
本当に全てを捨て切らないと、見えません。
見えたフリは、やめましょう。
見えた気になるのも、やめましょう。
見えないなら見えないでいいです。
その時はまだ、何か色眼鏡をかけて見ているということです。
それはそれでいいです。
ただ、見続けてください。
見ようとし続けてください。
本当のことを、見てください。
…
全てを捨ててしまいましょう。
あなたが恐れていたようなことは、何もありません。
今この瞬間、全てを捨てましょう。
全てを捨てることによって、真実が自ずから姿を現します。
夾雑物を取り除くことによって、もともとの姿が現れます。
ただ余計なものを全部捨てるだけでいいのです。
今この瞬間に全部を捨てる。
それが、あなたが本当に行きたい場所へと到る道です。
何かにしがみつきたくなる、その手を離してごらんなさい。
落っこちてみてごらんなさい。
どこですか、そこは。
もうどこにも落っこちれない場所。
すでに助かっている場所。
人はしがみつくからこそ、落っこちる可能性を保持し続けます。
しがみつくその手を離せば、もう落っこちることはありません。
あなたは何にしがみついていますか?
あなたがしがみついているもの。
人や物、状況や思い出、希望や期待、あらゆるもの。
それらを単純に、手放してみましょう。
ただフワッと、手放してしまいましょう。
どこかに落っこちますか?
落っこちません。
何も起きません。
手放したあなたは、何も変わりません。
でも、何にもしがみついていないあなたに、不安はあるでしょうか?
もうどこにも落っこちれないというのに、落っこちる可能性におびえることが、あるでしょうか?
そこではないですか? あなたの行きたい場所は。
捨てましょう、全部。
全てを手放して、そこに行きましょう。
永遠の静寂です。
コメント
ホントそう、
しなければならないことは何もない。
ただそれがわからないから、
なんとなく必要性をみたそうとあれこれ年中努力している。
そうせずにはいられない。
生き残るためにしなければならないことがある。
これが人生ハードモードの考え方だ。