「思考は現実化する」
みなさんも聞いたことがある言葉だと思います。
考えていることが現実化する、ということですね。
しかしながら私はこう言いたいと思います。
「思考は現実化しなくてもよい」と。
なぜなら思考は、思考した時点でゴールだからです。
「そう思えた」という時点で、もう達成済みです。お疲れ様でした。
「現実化する」という尾ヒレが付くと、逆に人を惑わせてしまいます。
「現実化するために思考する」となるからです。
「現実化」に思考が縛られてしまいます。
現実化を基準に思考してしまいます。
その結果、「いやいや、それは無理だろう」と本来何をどう考えても自由なはずの思考が、制限されてしまいます。
そして、その不自由な思考によって、やっぱり現実化は無理じゃん、となり、より現実化が遠ざかります。
もう一度言います。
現実化は不必要 です。
「そう考えることができた」という時点で、もう終わっています。
以上、おしまい、です。
よくご意見をいただきます。
「そう思いたいけど、思えない」と。
認識が全てだから、認識を変えれば世界は変わるということは、理解できる。
しかし、実際に認識を変えることは難しい、と。
「そんなのは難しい」「できるとは思えない」「いや〜無理でしょう」
いろいろとできない理由がでてきます。
しかし、難しいのって全部「現実化が難しい」ってことですよね?
「考える」ことは難しくないですよね??
りんごを頭に思い浮かべてください。
はい、できますね。
ディズニーランドに遊びにいっているところを想像してみてください。
はい、できますね。
理想の人生を謳歌しているところを想像してみてください。
できますよね?
りんごを頭に思い浮かべるように、理想の人生を謳歌しているシーンも思い浮かべることができますよね?
同様に、月にディズニーランドを建てることも、美女100人とデートすることも、札束の風呂に入ることも、なんだってできますよね? 頭の中でなら。
「いやーそんなふうに考えるのは難しいですよ」という意見が出てくるのは、現実化を想定しているからですね。
そんなのできっこない、と。
「月にディズニーランド? バカ言ってんじゃないよ」
現実化を想定しているのなら、100%同意しますよ。
でも考えるだけならできますよね?
実現可能かどうかは別にして、考えることはできます。
同様に、「そんなの考えたってしょうがない」という意見もそうです。
考えたってしょうがない、とは、考えても現実化するわけじゃないからムダ、という意味ですね。
つまり、現実化を想定しているからこそ、出てくる意見です。
結局みんな、「現実化」だけに興味があるのです。
100万円、現ナマで欲しいのです。
100万円の想像だけなんて、いらないのです。
「100万円を思い浮かべたら、実際に100万円手に入るらしいよ」と言われたから、やっただけです。
実際に100万円手に入らないなら、やる意味なんてやりません。
そういうことですね、つまり。
みんな、現実だけが問題です。
現実に引っ張られ、掻き乱され、振り回されながら生きています。
「現実」だけが全てです。
「現実」をなんとかしたいのです。
ああ現実を変えたい。
ああ現実をなんとかしたい。
現実、現実、現実…
ですね?
現実が力を持ち過ぎています。
というか、現実が100%です。
あなたの中で、現実こそが100%を占めていますね。
しかしこれまで何度も見てきたように、本当は「認識」こそが100%です。
考えていること、そうだと思っていること、そうだと感じていることが100%です。
現実は認識を形作るための材料にすぎません。
現実は、それによって望ましい認識が手に入った時にだけ、意味を持ちます。
現実そのものには意味はありません。
意味は現実にあるのではなく、認識にこそあります。
100万円そのものに意味があるのではなく、それを持っている時に感じる感覚。
それを使う時に感じる感覚。
それで買ったものから受け取る感覚。
そういうものにこそ、意味があります。
真実は、真逆です。
だから、考えるだけでいいのです。
考えて、感じて、「その気」になれば、それでいいのです。
現実化は考慮に入れなくていいのです。
考え、そして、その感覚を味わったなら、もうすでに意味を満たしているのです。
とはいえ、「そんなのイヤだ」という思いが根強くあるから、できませんね。
想像なんていらない。現実が欲しいと。
しかし、現実に対するこだわりが強いから逆に、現実化から遠ざかっているというパラドックスには、気づいていません。
…
結局問題はそこに行き着きます。
「現実に対するこだわりが抜け切らない」
現実でしかモノを見れないから「無理」という発想がでてきます。
そして「無理」という発想が、「無理」な現実を作ります。
堂々巡りです。
いつ現実から目を逸らすのか。
問われているのは、そこです。
「現実を直視しろ」
なんてよく言われますが、現実を直視しているからこそ、このありさまです。
「現実をよく見ろ」というアドバイスに従った結果、現実にお金を稼がなくてはいけない状況に陥り、現実に生活していかなければならない状況に陥っています。
ああしんどい、こんな生活もう抜け出したい、と言いながらも、「現実を見る」ことによって、それを強化しています。
現実を見ているから、そんな生活なのです。
わかりますか?
現実を直視しているから、現実から抜け出すことができないんですよ?
蛇に睨まれたカエルのように、現実から目をそらすことができないから、身動きがとれないのですよ?
ずらしてください。現実から視線を。
夢を見てください。あなたの好きなもの、そうでありたかったこと、行きたかった場所、やりたかったこと。
触れてみたい感覚、感じてみたい気持ち、喜び、平和、何でも。
自由に、大胆に、伸び伸びと。
あなたの思い描く、めいっぱいの理想を展開してください。
頭の中に。
思考は現実化しません。
それでも思考できますか?
現実化抜きにして理想を思い描くことができますか?
現実化なんていらないのです。
なぜならもう理想を手にしているから。
理想を思い描いた。
理想を理想として認識した時点で、もう理想は手にしています。
欲しいのは、その感覚です。その実感です。そのフィーリングです。
それはもう、手にしています。
そして、手にした証拠として、現実はやってきます。
現実がやってこないとしたら、あなたは手にしていないのです。
頭の中で手にしていないから、現実にやってこないのです。
「現実化しないのは何でだろう」ってそれは、頭の中で実際に手にしていないからです。
手にしたなら、やってきます。
手にしてないなら、やってきません。
手にしたくなりましたね? 頭の中で。(笑)
じゃあ始めましょう。
夢を、理想を、描いてください。
そしてそれを手にしてください、頭の中で
現実を見れば見るほど、現実は強化され、理想を見れば見るほど、理想は強化されます。
現実なのか、頭の中なのかは関係ありません。
意識を注いでいるものが、あなたにとっての全てです。
思考は現実化します。
頭の中で手にしたものは、必ず現実で手にします。
あなたの思っているような形ではないにしても。
今の認識で見える世界は、前の認識で見える世界とは違っています。
認識によって世界の見え方が変わります。
世界の見え方が変わるとはすなわち、世界が変わるということです。
認識通りの世界が、そこにはあります。
あなたの認識が理想に近づけば近づくほど、目に見える現実の世界は理想に近づきます。
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