「成功」とは、人それぞれ違います。
社長になって大金を儲ける。
有名になってチヤホヤされる。
それだけが、成功ではありません。
誰にとっても成功と言えること。
それは「真に自分自身でいること」です。
そして、真に自分自身でいる時、形としてどのような現れになるかは、想像の範囲外です。
真に自分自身でいる時、あなたはカーレーサーになっているかもしれません。
はたまた、作家になっているかもしれません。
あるいは、今と変わらないかもしれません。
何になるかは、全く想像だにできません。
形にはこだわらなくていいのです。
こだわるべきは、「真に自分自身でいること」です。
毎瞬常に、自分自身でいること、自分自身を深めていくこと。
そのことだけにこだわっていれば、自ずと行き着く先に導かれるでしょう。
…
あなたは別に、社長になりたくないのです、有名人になりたくないのです。
自分自身でいたいのです。
あなたにとっての成功はそれだけであり、その時どのような形をまとうかは、関係ありません。
ですから、形に惑わされないでください。
「あの人みたいになりたい」といって「あの人の形」をまねないでください。
あの人の形はあの人の形であり、あなたのものではありません。
あなたの形はまだ、あなたですら知らないものです。
何をまねたとしても、それはまねごとであり、ニセモノです。
ついうっかり、形をまねてしまいます。
「こうした方がいいよ」と言われれば、ついうっかりそうしてしまいます。
「すること」はやめましょう。
することは何もありません。
することではなく、「あること」です。
「そうであること」です。
自分自身であることです。
やることは、それだけです。
…
じゃあ、「自分自身である」って、具体的にはどんなことか。
それは、あらゆる全てを取っ払った時に、自然とそうなることです。
あらゆる思考、あらゆる予断、あらゆる偏見。
そういったものを消したときに最後に残るもの。
絶対に消せないもの。
最後に核として残るもの。
それが真のあなたですね。
そこへ向かいましょう、ということです。
じゃあどうやってそこへ向かうのか。
それは何かを身に付けるとか、スキルを手に入れるとか、そういうことではないですね。
むしろ全く逆のことですね。
何かを積み上げていくというよりも、自由落下。
力を抜いてスーッと落ちていく。落ちきる。落ちるところまで落ちる。
たいていどっかに引っかかって、落ちきらない。
思考の癖とか偏見とか予断とか。
そういうものに引っかかって、落ちきらない。
そこをさらに力を抜いて、引っかかりを溶かして、さらに落ちていく、どこまでもどこまでも。
それが自分へと向かう旅です。
そうやって自分に近づいて行きます。
それは「何かをする、努力をする、積み上げる」というよりも、「何もしない、落ちきる」ということです。
つまり、「本当に本当に全てを取っ払ったとき、あなたは自動的にどうなる?」ということです。
全ての障害を取り払った時に、あなたは自動的にどうなりますか?
お菓子ばっかり食う、とか、一日中寝てる、とか、思い浮かびますよね?
謎のブロックを取り外したら、自動的にそうなること、ってありますよね。
「え?そんなこと?」と思われるかもしれませんが、そんなことです。
「え?そんなこと?」がすでに、謎の予断ですよね。(笑)
それはすでに、「そうではないこと」を予想していたということであり、あなたの当たり前から外れていたということです。
そうやって謎に身に付いてしまった「当たり前」を外して、正直に本当の自分をさらけ出すということです。
だって考えてみてください。
普通に考えたら、お菓子ばっか食いたいでしょ?
普通に考えたら、一日中寝てたいでしょ?
よく考えたら、そっちのほうが当たり前でしょ?
そしてこの当たり前も、さらに先へ進むと、当たり前ではなくなります。
別にお菓子ばっか食いたいわけではないし、一日中寝てたいわけでもないのです、さらに本当のところは。
そうやって現時点の当たり前を更新しながら、どんどん先へ進む。行きつくところまで行く。
予断や偏見を、溶かして、無くして、本来のまっさらな自分に還る。
なんかすごくワクワクしませんか?
一体どんな自分が現れるんだろうかと、ワクワクしませんか?
「それよ!本当にやりたいのはそれよ!」ってなりませんか?
「本当の自分を見てみたい!!」ってなりませんか?
謎の予断と偏見の奥にある、真の自分に出会ってみたいと思いませんか??
それが本当にやりたいことではないですか?
でも一方で「怖い」という意見もあることでしょう。
「本当の自分を見るのは怖い。どんな野獣が現れるのかと、ヒヤヒヤする」と。
しかしです。
それも予断です。
野獣でもいいのです。
野獣がダメというのは、謎の偏見です。
何でもいいのです。
何かじゃなきゃいけない、何かであってほしい、何かであるべき。
それがつまり偏見です、予断です。
それを無くしちゃえば、何でもいいはずです。
このように、いとも簡単に、予断や偏見によるブレーキがかかります。
この行程がいかにも難しいものであることが察せられるでしょう。
だから再三いうように、何でもいいのです。
何でもいい時、あなたは自動的にどうなりますか?
それを確かめてみてください。
落ちきってみてください。
真の自分に、出会ってみてください。
絶対にパワーがみなぎります。
だって流れ出すから。
突っかかりを全て無くし、自由にスースーに通り道を作ったら、そりゃあ流れ出します。
今までつっかえて流れていなかったものが流れ出します。
…というのも予断になるから、何も言いませんが、とにかく自分の目で確かめてください。実際どうなるのかを。
…
逆に落ちきらないうちに何かをしても、それはうまくいきません。
だって「流れない」から。
流れない川を、無理やり手で流そうとしても無理があります。
つっかえたまんまの状態で行動に走っても、何も流れません。
それはまさに横車を押すこと。
今までのやり方とは、「すぐ行動してしまうこと」でした。
これはうまくいきませんでしたね。
だから今こうやって別のやり方を探ってますね。
そう、これからのやり方は、「行動はしない」です。
行動よりも、自分自身へ還ることに集中する。
そして行動が「起こった」なら、それに身を任せる。
行動が起こったとは「流れた」ということです。
あとはその流れに身を任せるのみです。
真の成功とは、努力して掴むものではありません。
それは「起こる」ものです。自動的に。
自動的に起こるものこそ、真の成功です。
努力して、しゃにむに取りに行った成功は、それは成功ではなく、ただの「行為」です。
…
「自分に還ること」
これはある意味、非常に難しいことです。
それよりも、すぐに行動し、努力し、汗水たらすほうが簡単です。
すぐにできるし、やった気になれるから。
やった感じがするから。
自分に向かう、落ちていくということは、何もやった感じがしません。
だから簡単に不安になります。
「本当にこれでいいのか??」と。
だからある意味、すごくチャレンジングなのです。何もしないということは。
普通に考えて「何もしない」なんて、不安でたまりません。
このチャレンジへと向かうために必要なのは、「確信」です。
「それでいい」という確信です。
それでいいという確信がなかったら、こんな不安なこと、とてもできません。
それよりも、わかりやすくて簡単な「行動」にすぐ走ってしまいます。
確信はですね、あなたは本当は知っているのです。
「それが正解だ」ということを。
心の奥深くでは、知っているのです。確信として。
ただ、周りの言葉、周りの環境、今までに身に付けた知識、知見。
そういったものに惑わされて、見えにくくなっているのです。
だから今、「あなたは本当は知っているはず」と言われて、「は!確かに知ってるわ」と思い出したはずです。
そう、我々は簡単に忘れてしまうのです。
忘れてしまう。
しかし、「消えてなくなる」ということはありません。あり得ません。
それは世界の核であり、あなたの核だからです。
それは常にあります。消えてなくなるということは、あり得ません。
思い出せば、いつでもそこにあります。
日常の中では、ただ単に忘れているだけです。
「思い出す」
そう、我々がやろうとしていることは、それです。
思い出すこと。
自分が本当は何であるかを思い出すこと。
真の自分自身へと還ること。
これ以上に大切なことは、無いと思います。
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