自分にとっての真の成功とは

「成功」とは、人それぞれ違います。

社長になって大金を儲ける。

有名になってチヤホヤされる。

それだけが、成功ではありません。

 

誰にとっても成功と言えること。

それは「真に自分自身でいること」です。

そして、真に自分自身でいる時、形としてどのような現れになるかは、想像の範囲外です。

 

真に自分自身でいる時、あなたはカーレーサーになっているかもしれません。

はたまた、作家になっているかもしれません。

あるいは、今と変わらないかもしれません。

何になるかは、全く想像だにできません。

 

形にはこだわらなくていいのです。

こだわるべきは、「真に自分自身でいること」です。

毎瞬常に、自分自身でいること、自分自身を深めていくこと。

そのことだけにこだわっていれば、自ずと行き着く先に導かれるでしょう。

 

 

あなたは別に、社長になりたくないのです、有名人になりたくないのです。

自分自身でいたいのです。

 

あなたにとっての成功はそれだけであり、その時どのような形をまとうかは、関係ありません。

 

ですから、形に惑わされないでください。

「あの人みたいになりたい」といって「あの人の形」をまねないでください。

あの人の形はあの人の形であり、あなたのものではありません。

あなたの形はまだ、あなたですら知らないものです。

何をまねたとしても、それはまねごとであり、ニセモノです。

 

ついうっかり、形をまねてしまいます。

「こうした方がいいよ」と言われれば、ついうっかりそうしてしまいます。

「すること」はやめましょう。

することは何もありません。

 

することではなく、「あること」です。

「そうであること」です。

自分自身であることです。

やることは、それだけです。

 

 

じゃあ、「自分自身である」って、具体的にはどんなことか。

それは、あらゆる全てを取っ払った時に、自然とそうなることです。

あらゆる思考、あらゆる予断、あらゆる偏見。

そういったものを消したときに最後に残るもの。

絶対に消せないもの。

最後に核として残るもの。

それが真のあなたですね。

そこへ向かいましょう、ということです。

 

じゃあどうやってそこへ向かうのか。

それは何かを身に付けるとか、スキルを手に入れるとか、そういうことではないですね。

むしろ全く逆のことですね。

何かを積み上げていくというよりも、自由落下。

力を抜いてスーッと落ちていく。落ちきる。落ちるところまで落ちる。

たいていどっかに引っかかって、落ちきらない。

思考の癖とか偏見とか予断とか。

そういうものに引っかかって、落ちきらない。

そこをさらに力を抜いて、引っかかりを溶かして、さらに落ちていく、どこまでもどこまでも。

それが自分へと向かう旅です。

そうやって自分に近づいて行きます。

それは「何かをする、努力をする、積み上げる」というよりも、「何もしない、落ちきる」ということです。

 

つまり、「本当に本当に全てを取っ払ったとき、あなたは自動的にどうなる?」ということです。

全ての障害を取り払った時に、あなたは自動的にどうなりますか?

 

お菓子ばっかり食う、とか、一日中寝てる、とか、思い浮かびますよね?

謎のブロックを取り外したら、自動的にそうなること、ってありますよね。

「え?そんなこと?」と思われるかもしれませんが、そんなことです。

 

「え?そんなこと?」がすでに、謎の予断ですよね。(笑)

それはすでに、「そうではないこと」を予想していたということであり、あなたの当たり前から外れていたということです。

そうやって謎に身に付いてしまった「当たり前」を外して、正直に本当の自分をさらけ出すということです。

 

だって考えてみてください。

普通に考えたら、お菓子ばっか食いたいでしょ?

普通に考えたら、一日中寝てたいでしょ?

よく考えたら、そっちのほうが当たり前でしょ?

 

そしてこの当たり前も、さらに先へ進むと、当たり前ではなくなります。

別にお菓子ばっか食いたいわけではないし、一日中寝てたいわけでもないのです、さらに本当のところは。

 

そうやって現時点の当たり前を更新しながら、どんどん先へ進む。行きつくところまで行く。

予断や偏見を、溶かして、無くして、本来のまっさらな自分に還る。

 

なんかすごくワクワクしませんか?

一体どんな自分が現れるんだろうかと、ワクワクしませんか?

「それよ!本当にやりたいのはそれよ!」ってなりませんか?

「本当の自分を見てみたい!!」ってなりませんか?

謎の予断と偏見の奥にある、真の自分に出会ってみたいと思いませんか??

それが本当にやりたいことではないですか?

 

でも一方で「怖い」という意見もあることでしょう。

「本当の自分を見るのは怖い。どんな野獣が現れるのかと、ヒヤヒヤする」と。

 

しかしです。

それも予断です。

野獣でもいいのです。

野獣がダメというのは、謎の偏見です。

何でもいいのです。

 

何かじゃなきゃいけない、何かであってほしい、何かであるべき。

それがつまり偏見です、予断です。

それを無くしちゃえば、何でもいいはずです。

 

このように、いとも簡単に、予断や偏見によるブレーキがかかります。

この行程がいかにも難しいものであることが察せられるでしょう。

 

だから再三いうように、何でもいいのです。

何でもいい時、あなたは自動的にどうなりますか?

それを確かめてみてください。

落ちきってみてください。

真の自分に、出会ってみてください。

 

絶対にパワーがみなぎります。

だって流れ出すから。

突っかかりを全て無くし、自由にスースーに通り道を作ったら、そりゃあ流れ出します。

今までつっかえて流れていなかったものが流れ出します。

 

…というのも予断になるから、何も言いませんが、とにかく自分の目で確かめてください。実際どうなるのかを。

 

 

逆に落ちきらないうちに何かをしても、それはうまくいきません。

だって「流れない」から。

流れない川を、無理やり手で流そうとしても無理があります。

つっかえたまんまの状態で行動に走っても、何も流れません。

それはまさに横車を押すこと。

 

今までのやり方とは、「すぐ行動してしまうこと」でした。

これはうまくいきませんでしたね。

だから今こうやって別のやり方を探ってますね。

 

そう、これからのやり方は、「行動はしない」です。

 

行動よりも、自分自身へ還ることに集中する。

そして行動が「起こった」なら、それに身を任せる。

行動が起こったとは「流れた」ということです。

あとはその流れに身を任せるのみです。

 

真の成功とは、努力して掴むものではありません。

それは「起こる」ものです。自動的に。

自動的に起こるものこそ、真の成功です。

努力して、しゃにむに取りに行った成功は、それは成功ではなく、ただの「行為」です。

 

 

「自分に還ること」

これはある意味、非常に難しいことです。

それよりも、すぐに行動し、努力し、汗水たらすほうが簡単です。

すぐにできるし、やった気になれるから。

やった感じがするから。

 

自分に向かう、落ちていくということは、何もやった感じがしません。

だから簡単に不安になります。

「本当にこれでいいのか??」と。

 

だからある意味、すごくチャレンジングなのです。何もしないということは。

普通に考えて「何もしない」なんて、不安でたまりません。

 

このチャレンジへと向かうために必要なのは、「確信」です。

「それでいい」という確信です。

それでいいという確信がなかったら、こんな不安なこと、とてもできません。

それよりも、わかりやすくて簡単な「行動」にすぐ走ってしまいます。

 

確信はですね、あなたは本当は知っているのです。

「それが正解だ」ということを。

心の奥深くでは、知っているのです。確信として。

ただ、周りの言葉、周りの環境、今までに身に付けた知識、知見。

そういったものに惑わされて、見えにくくなっているのです。

 

だから今、「あなたは本当は知っているはず」と言われて、「は!確かに知ってるわ」と思い出したはずです。

そう、我々は簡単に忘れてしまうのです。

 

忘れてしまう。

しかし、「消えてなくなる」ということはありません。あり得ません。

それは世界の核であり、あなたの核だからです。

それは常にあります。消えてなくなるということは、あり得ません。

思い出せば、いつでもそこにあります。

日常の中では、ただ単に忘れているだけです。

 

「思い出す」

そう、我々がやろうとしていることは、それです。

 

思い出すこと。

 

自分が本当は何であるかを思い出すこと。

真の自分自身へと還ること。

 

これ以上に大切なことは、無いと思います。

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