現実化ということについて

私たちは理想の現実化を求めています。

お金であったり、仕事であったり、人間関係であったり。

何か理想的な状況を現実としてつくりたい。

そのためにどうすればよいのかと調べると、波動が現実を作る、という言葉にでくわします。

ですから、波動を変えようとするわけですね。

 

それは逆の言い方をすると、現実化の役に立たないなら、波動を変えようとはしない、ということになります。

どうでしょう? 波動を変えても現実は変わらないということが事実であったなら、それでも波動を変えようとしますか?

 

しかし、なぜ現実化したいのかというと、それによってその波動を味わいたいからなのです。(笑)

不思議な逆説で面白いと思いますが、現実そのものが欲しいわけではなく、そこから味わえる味が味わいたいのです。

ですから、その味が味わえるのなら、もはや現実そのものは不要です。

欲しいのは「感覚」のほうです。

そして、その感覚が先にあるのなら、その感覚に見合った現実がやってきますよと。

波動が現実化するとはそういう話です。

 

ここで重要なポイントのみ抜き出してみましょう。

それは「感覚」あるいは「波動」です。

それだけが重要であり、そこだけが要点です。

現実そのものは要点ではありません。

感覚あるいは波動が手に入るなら、現実は必要ないのですぶっちゃけ。

つまり、現実化はあってもなくてもどっちでもいいものです。

 

逆に、現実化したいという焦りや、できないという不安が、現実化を遠ざけます。

その感覚に見合った現実化が起こるわけですから、現実化が起きてないという感覚に見合った現実化が起きています。

間違いありませんね。(笑)

 

どっちでもよいものに捕らわれて本当に欲しいものが手に入っていない。

そんな状況になっていませんか?

 

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