善を為す

世界が自分の思い通りにいったら幸せでしょうか。あり余るお金を持てたら幸せでしょうか。

必ずしもそうではありませんね。

欲を満たすことと幸せは、似ているようで違います。

 

欲とはエゴ、つまり動物的、物理的、三次元的な事項で、幸せとはもっと高次の部分、目に見えない霊的な事項です。

言葉にすると逆にわかりにくいかもしれませんが、感覚的にはおわかりいただけるかと思います。

『欲』という言葉がもたらす、生理的な嫌悪感、何だかわからないけどイヤな感じ。

そして『幸せ』という言葉がもたらすクリーンでピュアなイメージ。

感覚的に全く違った感じがすることでしょう。

 

なぜそんなふうに違った感じがするのかというと、そういうふうに出来ているからです。

高みへのあこがれがもともと私たちに備わっているのは、進化や成長が、宇宙の運行だからです。

より良い方向へ行きたがるのが宇宙です。

逆に、宇宙が行こうとする方向のことを『善』と呼ぶ、とも言えます。

私たちも宇宙の一部ですから、善を志向する性質はもともと内蔵されています。

 

「いやいや、そんなことはない。自分のエゴを満たすことしか考えてない悪人はいっぱいいるではないか」

それは善よりもエゴを優先している人たちですね。

なぜそういうことが起こるのかと言うと、晦まされているからです。

晦まされた挙句にエゴが前に出て、善というものが埋没してしまっているのです。

 

善が内蔵されていない人間はいません。

人間である以上、いえ、宇宙に存在している以上、必ず善が内蔵されています。

なぜなら宇宙はそういうふうに出来ているからです。

 

宇宙は運行しています。

その運行する方向のことを善と呼びます。

宇宙に存在し、その運行に組み込まれているならば、それはもう全員善が内蔵されているのです。

 

ちなみに『善』とは、いわゆる「善行」とは違います。

宇宙の善は、人間社会の規範に反することもあります。

なにしろ人間だけに通用する小さなローカルルールをすっ飛ばした、宇宙の意思ですから。

宇宙の意思を生きると人間社会では変わり者呼ばわりされることもあるでしょう。

ビル・ゲイツだってスティーブ・ジョブズだって、周りからは相当浮いていたはずです。

 

 

 

 

つまり、善を為せ、です。

宇宙の意思を生きよ、です。

それが本来の生き方であり、幸せとはそういうことです。

 

善とは善行ではありません。

自分の意思を曲げて世の中で良いとされていることを無理矢理やることではありません。

そうではなく、あなたの中に内蔵されている『善』を為すのです。

 

まずは、自分の中に善を見つけてください。

「これだ」というものを。

それは社会の目に晦まされていたら見えません。

自分一人の真実に忠実に従ったときに見えます。

 

それは善行とは違います。

むしろ今の世の中では「良くない」とされることかもしれません。

それでも自らを晦ますことなく、その善を直視してください。

自分の中に内蔵されている宇宙の意思を。

 

それが宇宙の意思であるならば、あなたは間違いなくうまくいきます。

人間の頭で考えて、こんなのどう考えてもうまくいかないと思っても、それが宇宙の意思ならば、間違いなくうまくいきます。

なぜなら宇宙の運行と一致するからです。

 

宇宙は運行しています。

同様に、あなたも運行しています。

人間社会という小さな枠にとらわれず、宇宙として運行してください。

うまくいかないはずがないのです。

なぜなら宇宙は善に向かって運行しているからです。

いえむしろ、宇宙が向かう先のことを善と呼んでいます。

 

良い悪いではなく、宇宙はそっちに向かっているのです、なぜだか知らないけど。

良い悪いでも好き嫌いでもないのです。

ただ単にそっちに向かっているのです。

だから宇宙の一部である私たちも、ただ単にそっちに行くまでです。

とてもシンプルなことです。

 

『エゴ』と『善』を見分ける、ということが肝です。

それは感覚によってわかります。

エゴは気持ち悪いです。シンプルに気持ち悪いです。

善は「これだ!」っていう感覚があります。これまたシンプルに「これだ!」です。

 

感覚を研ぎ澄ましてください。

私たちは簡単に晦まされるし、晦まされるとわからなくなります。

 

『善』を見極める、という意識を持ち続けることです。

善が見えさえすれば、この勝負もらったも同然です。

それはあなたの個人的な意思ではなく、宇宙の意思だからです。

善をみつけ、そして善を為してください。

それがあなたの生きる道です。(笑)

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