私たちがやろうとしていることは、具体的なことではないので、そこがイマイチわかりにくい部分です。
手を動かしておにぎりを作るとか、そういうことなら理解しやすいのですが、私たちがやろうとしているのは、具体的なことではなく、感覚的なことです。
それはいってみれば「感じることの選択」と言えるでしょう。
感じたい感覚を感じるために何かをする、ということです。
ですから、行動の内容は問いません。
それによって何を感じるか、が重要です。
ある人にとってそれは、スポーツカーを運転することかもしれませんし、ある人にとってそれは、カフェで読書をすることかもしれません。
具体的な行動は、人によって千差万別です。
しかしその目指すところは、ひとつです。
つまり、その人がその人らしくあれる感覚。
心地よくいられる感覚、成長・拡大する感覚、前向き・ワクワクな感覚。
そういった感覚を感じる、ということです。
それは、宇宙の流れがそのように流れている流れに乗る、という言い方もできるかもしれません。
本来あるべき方向、みたいな。
これもまた何とも感覚的な話ですが、つまりは感覚です。(笑)
感覚にうそはつけません。
気持ち悪い感じを感じながら、気持ちいいフリをすることはできません。
感じていることは絶対です。
それに対してうそやごまかしは通用しません。
気持ち悪いと感じているなら、それは気持ち悪いのです。
気持ち悪いという感覚は、決して気持ちいいではないし、ピースフルな感覚でもありません。
今感じているその感覚は、その感覚です。
感覚というのは言葉以前の話なので、言葉にはしづらいものです。
ですから、言葉や論理によって解釈すると、容易にズレます。
言葉や論理以前のフィーリングです、感覚です。
今も何かを感じているその感覚に着目する必要があります。
将来の目標とか、未来の不安を考える前に、今、感じている、その感覚に着目する必要があるのです。
将来の目標を考えた時に、本当に達成できるのかと不安になるなら、その不安に着目する必要があります。
未来に対して暗い気持ちになるなら、その暗い気持ちに着目する必要があります。
何をしているかではなく、何を感じているかです。
「感じ」こそが最も根源的な部分です。
物事は、根本が何かを掴む必要がありますね。
物事において最も大事なのは、枝葉ではなく、根本です。
ですからその根本たる「感覚」を掴むのです。
その根本たる「感覚」を、自分の望むものにする。そのために行動する。
これが正しい行動のありかたです。
世の中の多くの質問は「で、何をしたらいいですか?」と、具体的な行動を問う場合が多いですが、この件に関しては、「これこれこういう行動です」と一概には言えません。
瞑想しなさいとか感謝しなさいとか言われても、それによって気分が悪くなるなら、それは的を得た行動にはならないのです。
行動で言えというなら「あなたが良い気分になれる行動」という答えになります。
そしてそれは、あなたしか知りませんし、あなた以外の誰にもわかりません。
だから、自分に聞いてください、となるのです。答えは自分が知っているから。
というか、自分以外の誰も知らないから。
そしてその行動も、時と場合によってころころ変わります。
ケーキが大好きといっても、ケーキばっかり食っていたら気持ち悪くなります。
たまにはたくあんも食べたくなるでしょう。
そして、どのタイミングで何を食べたくなるかは、自分にしかわかりません。
つまり、自分が知っているのです、全部。
自分しか知り得ないのです、全ては。
それがつまり、「感覚というナビゲーターに従っていれば、道に迷うことはない」ということです。
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