「問題」とは、それをそのままに捉えるのではなく、何か別なものに捉えるということです。
例えば「恋人と連絡がつかなくなった」という出来事。
これに対して、逃げられた、フラれた、裏切られたと、何か「別なもの」に捉えるのが「問題」です。
ですから問題の解決とは、何か別なものに捉えていたそれを、そのままに捉え直す、ということです。
それをそれである元の位置に戻す、ということです。
「恋人と連絡がつかなくなった」という出来事が発生したら、「恋人と連絡がつかなくなった」というただその事実に、その出来事を戻すことです。
「それ」はそのままであれば、問題はありません。
それは、ただ「それ」であることが、本来の実質です。
ほとんど興ざめするくらいの事実です。
人はなぜ、ただのそれを、あえて「問題」であるとか「悲劇」であるとか「喜劇」であるとか、独自の解釈を施してしまうのでしょうか。
「恋人と連絡がつかなくなった」という出来事が起こったとき、ほとんど反射的に「それは大問題だ!」となりますね。
当たり前じゃないか!くらいの勢いです。
そう、それはほとんど「当たり前」です。
「それ」は「問題」であることが「当たり前」の世の中です。
ではその恋人が、実は千載一遇のチャンスに飛び乗って、金山で金を掘り当てていたとしたらどうでしょう?
誰とも連絡は取れなくなるけど、このチャンスを逃したら二度と後は無いチャンスに飛び乗って、金を山ほど持って帰ってきたとしたらどうでしょう?
それはもう「でかした!」となりますね。
さっきまでの大問題が、今はもう「でかした!」です。
このように、ただの出来事をただの出来事と捉えるのではなく、独自の「解釈」を施すのが、我々のものの見方です。
そしてその解釈によって、問題は生まれます。
解釈は、ほとんど自動的に、無自覚に起こります。
そこに巻き込まれているということにすら気づきません。
そして、「ただそれ」というシンプルで明白な事実を見過ごしたまま、解釈に翻弄されます。
そんな問題の解決は、「ただそれ」という明白な事実に戻ることです。
…
問題は取り組んで解決するのではなく、そもそも問題が起こりえない場所に移行するのが、本質的な解決となります。
その本質的な解決とは、「事実を見る」ということです。
あなた独自の解釈や誰か他人の解釈ではなく、それがそれでしかない元々の姿をただ「見る」ということです。
ひどく単純です。
単純すぎて、ちょっとついていけません。(笑)
興ざめなほど単純で簡単なので、とても何かをやった気になれません。
何かもっとすごい方法、グッと来る方法、腹の底からスカッとする方法じゃないと、やった気になれません。
だから難しいのです、逆に。(笑)
あまりにも単純で簡単だから、あまりにも単純に簡単に見過ごされます。
でも、もっとも強いのは、最もシンプルなことです。
シンプルイズベスト、です。
「それはそれ」という以上のシンプルさはありません。
それ以上がないシンプルさです。
つまり、このシンプルさは最強です。
「それについては、あれこれこうで、こういう事情があって、こういう含みもあり…」と、いくらでも複雑にしているのが現状です。
複雑にするほうが簡単で、簡単にするほうが難しいという逆転現象が起きています。(笑)
単純にそれをそれとして見たら、世界のあまりの単純さに驚くでしょう。
あまりの問題の無さに驚くでしょう。
問題が無いどころの騒ぎではなく、それは何でもないのです。(笑)
無です。
…
本来の姿は、いつでも提示されています。
目の前にあるそれが、そのまんまそれです。
誰にも隠されていませんし、むしろ見逃すことなんてできません。
見逃しようがありません。
だって目の前にそれがそれとしてあるじゃないですか。(!)
一度単純に見てしまったら、なんで今までそんなひねくれた見方をしていたのか、首をひねるばかりです。
(そうはいっても、またひねくれた見方に戻るんですが。笑)
解決すべき問題は何もありませんでした。
ただそれがそれとしてある。
それが世界の本来の姿です。
そして問題があっても何の問題もないのです。(笑)
だって問題すらも「ただある」だけですから。
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