人はどうしてどこかへ行きたくなるのでしょうか。
ここではないどこかへ。
人はあこがれる。
きらびやかな世界に、素敵な出会いに、面白い出来事に。
そして、それを手に入れようと出かけていく。
ここではないどこかへ。
どこへも行かないなんて不安だ。
どこかへ行って、何かを手に入れないと、不安だ。
つねにもがいてないと、溺れてしまう。
そう思っている。
…
「そう思っている」
だからそうなっている。
「そう思っている」
それがあなたが手に入れていること。
あなたが手に入れるものは、外に取りに行くものではない。
内に発生するもの。
外の状況は全部、あなたが内に発生させているものの反映。
それは取りに行くものではなく、取りに行った結果。
外には何も取りに行くことはできない。
得るものは全て、内から湧き出るもの。
欲しいものは外に取りに行くのではなく、内に発生させるもの。
どこへも行かないなんて不安だ。
どこかへ行って、何かを手に入れないと、不安だ。
そう思っているとしたら、それがあなたが手に入れているもの。
そっくりそのまま、それがそう。
…
「でも思うことをコントロールなんてできないよ」
「不安だと思うのは、勝手にそう思ってしまって、コントロールできない」
いや、コントロールしなくていいいのです。
むしろ、コントロールを外すのです。
あなたはあなたの中から出てくるものを、ただ見つめるのです。
外を見るのではありません。
内を見るのです。
自分の中から何が出てくるかを、ただ見守るのです。
不安がでてきたなら、それでいいのです。
そこで目を外に転じて、何かをしようとするから、その不安が本当になってしまうのです。
その不安を相手にするから、その不安がリアリティを持つのです。
何もしなくていいのです。
湧き上がる思いを、ただ見守ればいいのです。
行動はあなたがすることではありません。
行動は「する」ものではなく、「起こる」ものです。
あなたがすることは、ただ見守ることです。
…
「思い」はコントロールできません。
それは湧き起こるものですから。
あなたがすべきことは、ただそれを認識することです。
認識し、認識し、認識し続けることです。
そして、どんな微弱な信号でもキャッチできるように、感度を磨くことです。
今、自分が何を思っているかに敏感になることです。
ただ、それだけです。
コントロールは不要です。
何かをどうにかしようなどとは、思わなくてもいいのです。
何かをどうにかしようと、なぜ思うのでしょうか。
それは「不安」だからですね。
その「不安」を見てください。
不安が不安なのは、それが把握されていないからです。
不安は見つけてもらえると、安心します。
「あ、自分は不安に思っていたのか」と思うと、安心します。
把握できるということは、安心なのです。
把握していないから、不安なのです。
ただ、自分の思いを把握するだけ。
自分から出てきたその子たちに、慈しみの視線を注ぎ、見守ること。
ハッキリ言って、それって完全に神秘ですよね。
自分からそういう思いが湧いて出るなんて。
謎、神秘、驚異。
それらは自分の中にこそ、存在します。
自分に驚いてください。
自分を発見してください。
それはすでに驚異であり、神秘です。
そして、自分の中から何が湧き出るか、楽しみに、ワクワクと見守ってください。
その時あなたはすでに、楽しいやワクワクを手に入れています。
見れば変化が起こるのです。
ただ「見る」だけです。
どうこうしようとしません。
ただ見るだけで、奇跡は起こるのです。
あなたもその目で目撃してください。
奇跡はあなたの中に、すでにあるのです。
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