人には衝動があります。
「何かをしたい」という衝動が。
寝たい、食べたい、あれが欲しい、これが欲しい。
実にさまざまな「したい」があります。
そんな「したい」の中で、特に何が一番したいですか?
本当にしたいこと。
どうでしょう。
それって何か「遊び」に分類されることではないですか?
趣味、旅行、ダンスに音楽、食べ歩きに飲み歩き。恋人とイチャつくことも。
まさか仕事がしたいという奇特な方もなかなかいないと思いますが、「お金を稼ぎたい」というのも、結局はそのお金で楽しみたいわけですよね?
そう、要するに「楽しみたい」のです。
本当にやりたいことって、老後に備えることでも、お金を稼ぐことでもなく、「楽しむこと」です。
「何」であるかは人それぞれでしょうけど、そこに例外なく共通する要素は「楽しい」ということです。
お金を稼ぎたいという場合でも、それ自体が楽しいからやるのです。
決して「生活のために」とか「老後のために」といった、「~のために」という理由ではありません。
お金を稼ぐこと「そのもの」が楽しいからやるのです。
…
「楽しい」
あるいは「気持ちいい」といってもいいでしょう。
この感覚はしかしながら、ある意味、忌み嫌われているようなところもあります。
「遊んでばかりいないで勉強しなさい」
「おい!遊んでる場合じゃないぞ」
そう、アリとキリギリスのお話で有名なように、遊ぶのはダメ、働くのはよし!
そういう風潮が世の中にはあります。
楽しいこと、気持ちいいことは我慢して、やりたくないことを一生懸命やるのが素晴らしいと、そういう認識が一般的です。
しかしですね、「楽しい」という感覚がなぜあるのかという、そこに着目してみようではありませんか。
「楽しい」ということは、それを「やれ」と仕向けているようではありませんか? まるで。
エサで釣るじゃないですけど、ご褒美を与えてそれをやらせるみたいな、なんかそういう仕組みを感じませんか?
何もなかったら何もしないでしょう、だって。
そして何もしなかったら、宇宙は発展していかないでしょう。
子作りだって、気持ちよくなかったらしないでしょう。
生き物を滅びさせたくない意図が、そこにはありはしませんか?
「宇宙は自分の意図する方向に仕向ける仕掛けとして、こういう仕組みを作った」
この有様を言葉にするとそういうことになりませんか?
楽しくなかったら、人は敢えてそれをしないでしょう。
しかしながら様々な分野の様々なジャンルに、ちゃんとそれを「楽しい」と思う人がいて、各ジャンルがちゃんと発展を遂げるなんて、宇宙のたくらみ以外の何物でしょうか。
つまり、
楽しいことはやるべき。
それが自然なことであり、宇宙の流れに乗ることです。
それをやることが楽しいかどうか。
心底楽しいかどうか。
宇宙の流れに乗っているかどうかは、こんなシンプルな方法で見分けることができます。
楽しいことをやりましょう。
それが正解です。
宇宙はそれをしてくれと言っているのです。
素直にそれを聞いてあげようではありませんか。
逆にそれをやる理由について、100も200も御託を並べる必要があるとしたら、それはちょっと違うということですね。
宇宙の流れに乗っていないということですね。
その行為が的を得ているかどうかの判断。
それは「楽しいか楽しくないか」。
ただそれだけ。
宇宙はいつだって、シンプルです。
コメント