想像力を使った創造

さて、前回の記事を読んだ結果、きっと次の質問がくることでしょう。

すなわち、

「彼と仲良くなることを想像すれば、彼と仲良くなれるんですか?」

「大金が手に入ることを想像すれば、大金が手に入るのですか?」

と。

 

とてもありがちな質問ですね。

 

回答です。

「彼と仲良くなることを想像しても、彼と仲良くなれません

「大金が手に入ることを想像しても、大金は手に入りません

 

彼と仲良くなることを想像することによって手に入るのは、いい気分です。

大金が手に入ることを想像することによって手に入るのは、いい気分です。

以上です。

ザッツオールです。

逆に言うと、いい気分が手に入らないなら、その想像は無意味です。

 

で、この場合の、その質問を発しているその「気」を見てみてください。

「本当に大丈夫なんだろうな、オイ」みたいな焦りと不安。

「本当にこんなことでうまくいくの?」という疑心暗鬼。

 

それです。

 

この想像によってその人が手に入れているものは、それです。

「気」ですから。

 

何のためにその想像をするのかというと、「気」をよくするためでしたね。

でも「想像したら手に入るんだよね!?だよね!?だよね!?!?」と焦りと不安と疑心暗鬼で想像したならば、その結果手に入るのはどんな「気」でしょう?

それは焦りと不安と疑心暗鬼です。

そのまんまです。

「気」ですから。

 

そもそもですね、気分がよくなればそれでゴールなのです。

彼と仲の良いところを想像して気分が良くなった。

自由に使える大金があるところを想像して気分がよくなった。

以上。マルです。

 

気分がよくなれば、それでゴールです。

そのための「想像力」ですから。

 

要は現実に縛られすぎているのです。

順序が逆です。

気が先で、現実が後です。

これを、現実が先で、気が後だと思っている。

だから「彼と仲の良い現実」を何としても作り出そうとするし、「大金を手にしたという現実」を何としても作り出そうとする。

「現実」が自分にいい気をもたらすと思っているから。

 

でもその時実際にクリエイションしているのは、不安と焦りと疑心暗鬼という気です。

自分の欲しい気のために創造力を利用するのではなく、「欲しいものがないという現実」から、不安と焦りと疑心暗鬼を得ている。

ほら、やっぱり現実が先で気が後でしょ?

それくらい、現実神話は根強いのです。

「現実こそ全て」という発想がこびりついているのです。

 

しかし何度も言うように、順序は逆です。

気が先で、現実は後です。

気は現実の後に手に入れるのではなく、現実の先に手に入れるのです。

「現実がないのに、どうやって手に入れるんだい」って、だからこそ想像力を発揮するのです。

現実がないのに手に入るからすごいのです。

だから錬金術だって言ってるんです。

 

だって何もないのに生み出せるんですよ?

実際には彼とは仲良しでも何でもないのに、想像力によって仲良しになれちゃうんですよ?

実際には全然お金ないのに、想像力によって有り余るお金が持てるんですよ?

それこそ錬金術じゃありませんか。

 

で、またここで「実際に仲良くなれないなら意味ないじゃん、バカバカしい」とか、「実際にお金が手に入らないなら意味ないじゃん、アホくさ」となりますね。

あくまで現実に力を置きたがる。どうしても現実神話が抜けない。

でもよーく考えてみてください。

何のために彼と仲良くなったり、大金を手に入れたいのかというと、それによっていい気分になりたいからでしょう?

気分だけならわざわざ現実においてそれを作り出さなくても、想像においてそれを作り出せるじゃないですか。

 

「いや、現実と想像は違うよ」

そうですね、現実から受ける印象と想像では、一言一句一緒ではないかもしれません。

でも、だいたい一緒でしょ。(笑)

あるいは想像のほうが現実を超えるかもしれません。

現実の彼は汗臭かったかもしれませんが、想像の彼はクリーンな彼です。

 

ここでは、印象のリアリティを競っているのではありません。

発生する「気」がどうであるかです。

そこから何を得るかです。

そこから素晴らしいものが得られるとしたら、それが想像だろうと現実だろうと、どっちでもいいじゃないですか。

 

想像から得られるものが現実のリアリティから得られるものとは違っていたとしても、「いい気分」として十分立派に通用するものです。

着目するのはそこじゃなくて、現実においてそういう状況を作り出し、然るのちにそういう気分を味わうという、甚だ難易度の高い手順を踏まなくても、想像においてあっという間に、何の苦労もなくその気分が手に入ってしまうという点です。

 

これをすごいと言わずに、一体何をすごいと言うのでしょう!?

 

 

想像力をうまく使いこなせてない人は、現実にこだわりすぎているのです、つまり。

現実こそが力だと、現実に力を預けすぎているのです。

 

力は現実にあるのではありません。

「気」にこそあります。

気を味わいたいがために、現実を利用する。そのために現実はある。

気が主で、現実が従です。

 

何のために彼と仲良くしたいのか、何のために大金が欲しいのかといったら、いい気分のためです。

気分が主で、現実が従です。

そして気分は、現実によらなくても想像力で手に入る。

いや、ぴったり同じではないかもしれませんよ。

でもだいたい一緒のものが手に入る。

場合によってはもっといいものが手に入る。

しかも圧倒的な手軽さで。

 

こんなすごい力を使わない手はない。

そういうことです。

 

 

まとめましょう。

 

あなたが欲しいのは、いい気分。

そして今までは、現実によっていい気分を得ていた。

温泉につかったり、好きな歌手のコンサートに行ったり、カフェでほっこりしたり。

楽しいことやいい気分を、「現実的な行動」によって獲得していた。

 

しかし現実は、自分の思い通りにはならない。イヤなこともいっぱいある。

上司には愚痴を言われるし、部下は言うことを聞かない。

信号は直前で赤になるし、空いた席はサッと他人に取られる。

現実はコントロール不可能。

なぜなら現実は、自分の外にあるものだから。

 

「ああなんて不安定で浮き沈みの激しい人生だ。なんて疲れる人生だ」

「もっと自由に伸び伸びと自分らしく、安心して楽しくいられないものか」

…という気分に頭の中を支配されている。

それは、「現実から気分へ」という今までのやり方による、当然の帰結。

 

さて、ここで転換。

 

現実によらない、気分への直接アクセス。

現実という不安定なものを当てにしていたら、それは得るものも不安定。

なので、欲しい気分を直接ゲットしてしまおうというもの。

どうやって?

想像力によって。

現実によらないでも、想像力によって、欲しい気分を直接手に入れてしまう。

 

想像によって、実際の現実はなくても、同じ気分が手に入る。

これがすなわち、創造。

無から有を生じせしめる、錬金術。

想像力は自分の「内」にあるものなので、自分のコントロールの範囲内。

創造は、頭の中で自由に可能。

コントロールできない外の現実を捨て、コントロールできる内の創造力を使う。

それによって、自在に欲しい気を創造する。

これが転換。

 

 

仕組みはわかりましたね。

仕組みはカンタンです。

あとはそう、実際にやること、そして忘れないことですね。

 

いままでの現実至上主義からの転換は、かなりの困難を伴うでしょう。

何十年かずっとそれでやってきて、すっかり染みついているわけですから。

しかし、だからこそのチャレンジです。

簡単な上にノーリスクだから、気軽に試してみるといいでしょう。

コメント

  1. セリス より:

    知らずに実践していました。恋愛に関してはまだ関係が浅い異性の前で心の中であれこれいかがわしいことを考えている。
    想像力で興味深いのは時折その想像が外部に漏れるという現象です。勘のいい人物がこちらの想像を言い当てる。

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