苦しみや悲しみ、寂しさや孤独感、自己否定や自己欺瞞。
みなさん、いろんな嫌なものを持っていることでしょう。
でも、それらは別にあっていいものです。
そして、それらを消したい、無くしたいという思いも、別にあっていいものです。
全てはあっていいんです。
だって現にあるじゃないですか?
それを無いフリをしたり、無いつもりになったりする必要はありますか?
あるならあるでいいじゃないですか。
何かが、ある。
ただそれだけの話です。
「ふむふむ、あるな」
以上、終わりです。
それらと一体になって苦しむのもいいですが、ただそれらを見てみてはいかがでしょうか。
見るポジションに立つのです。
それらをどうこうするのではなく、ただそれらに気づいているのです。
ただ気づいて、ただそのままにしておくのです。
逃れようとするから、苦しくなります。
なんとかしたいと思うなら、そのなんとかしたいという思いすら、ただ見ましょう。
全てをそのままにしておくのです。
…
だって、なんとかしてなんとかなるものでもないでしょう?
なんとかなるなら、とっくになんとかなっているはずです。
「なんとかする」が、なんの解決にもならないのは、皆さんもうさんざん経験済みのはずです。
なんとかしようとするその思いや行動すらただ起こっているこの現実において、「なんとかする」は、本当に無意味です。やってもやらなくても一緒です。
本当に馬鹿らしいと思いませんか?
意味のないことを一生懸命やっている、その滑稽で憐れな姿が見えますか?
その姿をちょっと見てみてくださいよ。
…
もう何もやることなんてなくないですか?
苦しい?寂しい? いいじゃありませんか。それがどうした?
「あなたは私の苦しみがわからないから、そんな無責任なことが言えるんだ」
そう思いますか?
もちろん、わかりませんよ。
あなたの苦しみの内容がどんなものであるかは、わかりません。
でも、内容は関係ないのです。
苦しみの質や種類、大きさや小ささなどは、何だっていいのです。
ただそれを「見れ」ばいいのです。
苦しみの質や種類、大きさや小ささが何だろうと、それと一体化して格闘するのではなく、ただそれを見ればいいのです。
見てごらんよ、それを。ただ、見てごらんよ。
わかります?
何も無い土俵で、ただ一人で空気と格闘しているのが。
わかるかな?
本当に何も無いのが。
あまりにも一体化しすぎちゃって、離れるのが難しいかもしれないけど、ただありのまま、本当にありのままを見る素直なストレートな気持ちを思い出してみてください。
まずはそっちの方向を志向してみてください。
本当のことを見る気持ちでいてください。
本当のことを知りたいと思う気持ちが、全てのスタートです。
そして実際に、ただ単に、本当のことを見てみてください。
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